孔子の死後約四百年かけて弟子達が編纂したのが『論語』です。孔子というと仁義礼智忠信孝悌といった徳を推奨する儒教の教祖としてみられています。良いことをして悪いことはしないように、という指針(規範倫理)を示したひとだと言われています。
確かに、論語は良いことをして悪いことはしないようにという規範倫理的な表現が多いのですが、それでは面白くないし、倫理道徳では堅苦しい。
もっと論語は身近です。 では、どのような解釈をするか、というと、あえてのマニュアル的解釈です。
孔子の教えがが人間のマニュアルだとすると、堅苦しいと思われていた論語が使えるトリセツとして読めるのです(だから、当時でも弟子が三千人もいたという)。
2500年前の論語が現代でも十分に活用できることが再発見できます。
就活、学習、人生、家族、仕事、社会、、、そうした現場でどのように活かすかが具体的に見えてくるはずです。 たとえば、スマホを購入すると、すぐに使えるのですが、トリセツがあるとそのスマホの持っている昨日を十分に使えるようになります。
ここで大事なことは、スマホが機能や能力をすでにもっている、ということです。
トレーニングしてそれができるようになるような努力を伴うものではなくて、その機能に気づくだけで使えるようになる、というのがマニュアルです。